厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

【作詞】幸せのA定食

いつもと同じ 東側の窓から

光が差し 今日も仕事場へ

 

見慣れた顔と 挨拶を交わして

同じニュースの 話題でトークする

(Aメロ1)

 

いつもと同じ 相槌の籠から

無難な返し なるほどが便利で

 

熟れた話術 地雷を躱して

同じよなオチで 少しだけ笑うよ

(Aメロ2)

 

あなたが頼んだA定食はいつでも同じ美味しさで

あの人も好きって言ってるしあなたを不幸にしないけど

 

不幸にならなきゃ幸せか?って話じゃないから

 

そればかりいつも選ぶのは臆病ってものだろう

(サビ)

 

誰かと同じ 遊びを覚えては

それを繰り返し 幸せな気分だ

 

不慣れなことの ストレスを躱して

同じ毎日を 飽きていても続ける

(Aメロ1)

 

誰かと同じ じゃない奴探して

ひそひそ話 ほくそ笑んで愉快だ

 

区切りをつけた 向こうにあるものを

探しに行ける とこが羨ましい けど

 

あなたが選んだA定食は あなたが選んだ幸せで

今更否定はし尽くせないし 変えてく勇気も出ないけど

 

選びたくって選んでるって わけじゃもうないから

 

明日もそうして続くのは憂鬱なものだろう

(サビ)

 

わかっていたんだ 逃げていたことは

孤独や不安を 誤魔化してきてた

 

賢いと思い込んだ 狭い世界を知り尽くして

 

今からでも変われるかな

 

弱くて強い自分へと

(間奏)

 

明日は選ぶよB定食を 小さな勇気で踏み出して

変わる日常に不安はあるし 美味しくないかもしれんけど

 

そこから逃げ続けるだけじゃ 幸せじゃないから

毎日不安と戦おう …uh そしてきっと

 

私は選ぶよ自分の未来を 心の言葉をよく聞いて

変わる未来には希望もあるし 痛みも当然あるけれど

彩り豊かな人生を 表現したいから

 

明日への覚悟を決めるのさ 全力で駆け出そう

(サビ)

 

 

ノート

 

こんなことありませんか?

 

新しい街へ居を移し、そこで美味しいレストランを見つけ贔屓にしたとします。

 

そこで確実に美味しいとわかるメニュー3つくらいできたあたりから新しいメニューに挑戦しなくなっていくような経験です。

 

 

昔テレビで見た─今では胡散臭く感じるであろう─テレビ番組で人の性格を決める脳内分泌物を紹介していました。

 

それはノルアドレナリンドーパミンセロトニン3種でそれぞれに織田信長豊臣秀吉徳川家康が割り当てられて紹介されました。

 

また、これらの分泌を大まかに予想する心理テストのようなものでレストランでのメニューの決め方も出てきていたことを覚えています。

 

 

その番組でドーパミン好奇心と関連づけられていました。レストランの話で言うと新しいメニューに積極的に挑む人です。

 

 

今この世にないもの生み出すのはとても困難です。天下統一完成まで豊臣秀吉がやってのけ、他国に手を出したのも飽くなき好奇心と言えば、そうです。

 

つまり豊臣秀吉ドーパミン分泌型人間で好奇心があったという話はまとまりがあるといえます。

 

 

新しいメニューに挑戦しない人セロトニンと関連づけられていて穏やかな気質を持つとされていました。

 

徳川家康が穏やかな人だったかどうかはわかりませんが、忍耐力、守りの気質の印象は受けます。

 

江戸時代は社会全体がセロトニン分泌人間と似たような気質を持っているように感じます。鎖国により無限の発展を拒み有限の平和サイクル回すところに顕著です。わらじなどの再利用技術も優れていたと聞きます。

 

天下統一をまとめあげるには現状の最良に落ち着く必要があったと私は感じます。

 

ですから、本当に徳川家康セロトニン分泌型人間なら、セロトニンが下手な好奇心を落ち着けたのかもしれません。

 

 

以上のことから、私は性格と脳内分泌物の話があながち間違ってないのではと思います。

 

 

さて、末人という言葉を私はよく使います。(インターネットのみ)

 

調べたら簡単にわかる思考体系のことです。

 

創造性のない安楽をひたすらに求める残念な大多数に名前をつけたニーチェの偉大さははかりしれません。

 

ただ、末人の概念思考体系などを指すが故に賛否両論です。

 

ひたすらに凡人として、ただ耐え生き抜くのであれば決して間違いではありません

 

 

しかし、生きるとしては、やはりイマイチだと思います。

 

こうした悪あがきの表現ごっこも私なりの末人思想に対する抵抗なのですから。

 

話を戻します。

 

そう思っているが故に、私はセロトニン分泌型人間考え方ではよくないと感じるのです。

 

セロトニン分泌型人間のくだりで江戸時代を例えに出しましたが、この時代は「有限のサイクルを設けて恒久平和を実現する」を行うことで人類史上稀なる長期平和実現したといえます。

 

平和であった以上悪くは言えないのですが、切り捨てたのは発展と創造性です。

 

 

私は江戸時代に生きた人の多く末人思想を持っていたのではないかと思います。

 

おそらく、それでよいとしていたのでしょう。

 

 

しかし結局、人類史発展選んだのです。

 

同じように安楽がやってくるサイクルを拒み大きな利益か損益を考え、選び歩むことにしたのです。

 

頑強で弱い人生よりも、脆弱でも強い人生を歩めるように──。

 

 

だから弱くも強い自分に変わるという言葉に至りました。

 

 

つまり、この詞の中心には末人思想脱却というテーマがあります。

 

私はプロではなく、この活動もまたごっこ遊びなのですべて書かせて頂きました。

 

 

本当は詞だけで刺せるといいんですが、とりあえず以上です。