厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

闇に埋もれた記憶の彼方

 

導入

 

そうさ、僕達は農家だった。

 

皆さんは夢を見ました(あるいは見ています)か?

 

昨晩の話ではありません。レミオロメンの言葉を借りるならTシャツで走っていた頃のことです。

 

 

人間のは宇宙飛行士のような実現性がとても低いものからはじまり、プロ野球選手のように努力が加味されるようになり、次に医者や弁護士と言った努力の割合多くなったものになり、そしてやりたいことに近い会社という努力の程度も下がったものとなると聞いたことがあります。

 

 

そして、やりたいことさえも忘れて収入ベースで仕事を妥協することもあります。

 

 

いつも頭の片隅で、考えてしまうことがあります。

 

 

「どうして人の夢の、全ては叶わないのか」

 

 

誰もが好きなことをして生きていければ、それはとても素晴らしいことでしょう。

 

 

しかし現実には多くの人がより良い明日を求めていながらも、妥協した職場で相手を思うことなく仕事を押し付けあうことがあります。

 

 

そして、多くの人はそれなりの結婚をして熱死(こないだのエントロピーの話ですが、あれはそのまんま熱死でした。)を迎え、ただ大切だと思っている家族を守る日々が始まります。

 

 

そのまま何も考えず人生をこなせば井上陽水の歌「人生が二度あれば」の母のように、自分の人生がなんのためにあったのかわからないものになります。

 

私は夢を叶えたわけではないのですが、対策としてせめて自分がやったことが死ぬ直前まで残るよう、創作してフォルダに残したり、こうしてブログに記録しています。

 

 

私が今回考えをまとめたいのは「仕事」についてです。

 

 

前回は、まとまりが悪かったので先に

 

仕事が何故あるのか?どうして全ての人が夢を叶えられないのか?

 

における自分なりの解答を述べると明らかにしておきます。

 

 

それでは参ります。

 

 

働かなければ生き残れない!

 

仕事をする理由を問われれば、大抵は「お金が必要だから」です。

 

普通の人は、ここで思考を停止し眼前の仕事に追われる日々に対してベストを尽くしていきます。それは本当に素晴らしいことです。

 

嫌味ではありません。

 

 

確かに普通の人と括って、私を省くと上から目線印象を与えてしまうかもしれません。

 

実際のところは、が日々の仕事に集中できずぼんやりと考えごとをする異常者なだけなのです。

 

 

だからこそ!

 

このブログを読む意味は、私が「どうしてお金が必要なの?」と考えることから始まります。

 

 

 

私は以前、マズローの欲求5段階説の話をしました。

 

その一段目は簡単に言うと食うこと、寝ること、セックスすることです。

 

二段目はざっくり言うと安全に過ごすということです。獣に襲われる以外に病気なども含みます。

 

三段目はお友達と仲良く集団生活することです。

 

 

三段目までを低次の欲求と言うのですが、驚くべきことに、これらの欲求を満たすだけならばお金は必要ありません

 

 

そう、農業に従事村で暮らせば良いのです。

 

強いて言うと、病気の治療が例外ですが、担当を立てて農作物を渡せば良いだけです。

 

 

しかしながら、低次の欲求に収まっていたならば、現代の便利な生活楽しい娯楽、それこそ医療技術の発展は実現しなかったと思われます。

 

 

つまり、現代において発展したもの農業をサボってほか事をした人達のお陰なのです。

 

人聞きの悪いことを言いました。

 

この理屈だといつだって忘れないほど偉い人、エジソン農業をサボっていたことになりますが、紛れもなく偉い人です。

 

 

まず、結論を出します。

 

何故お金が必要だったか?と言うと農業をサボってても飯を食うためです。

 

より表現を固くすると、人類に高次の欲求芽生え、技術や人生の豊かさにおける発展を望んだが故に農業をサボって発展に関するほか事をする必要ができたからです。

 

 

さて、今回のテーマは仕事ですが、本当に農業をサボってダラダラしている人にお金を与えてしまうと納得がいかないですよね?

 

農業おサボリストエジソンには偉業と呼ばれる発明、仕事の成果がありました。よって死ぬまで飯を食えたのです。

 

 

つまり、農業以外の仕事が存在する理由は、農業せずに飯を食うためです。(農業はよりプライマルな仕事です)

 

 

あくまでも私の答えですが、ここまでで仕事は何故あるのか?について述べました。

 

 

一言でいえば、食う権利のためです。

 

これは、お金が必要と変わらないようで大きく異なります。

 

お金に感謝するのは、筋違いだからです。

 

 

夢と仕事と俺とお前と大五郎

 

どうして全ての人の夢は叶わないのでしょう?

 

夢を抱くことは、生きる原動力です。

 

しかし、全てが叶うわけではない以上、百薬の長、されど万病の元。

 

 

万病の元などというのは言い過ぎかもしれませんが良い事ばかりではありません

 

夢叶わずして、なお生きよというのは残酷な話で、序盤に記したように人の夢の大きさが萎むのは小さなプライドを守るためです。

 

 

全ての人夢が叶わないのは、その「農家ではない」からです。

 

 

おもしろおかしい結論にするため、少し無理を言いました。

 

昨今は資本主義による競争社会、農家をナメるなという言われることでしょう。

 

 

では結局、全ての夢が叶わない理由「お金が必要」という当たり前なことになります。

 

これはとても退屈な結論です。

 

 

しかし、よく見てみましょう。

 

全ての人の夢が叶わないのは、お金が必要だからです。

 

ではお金が必要なのは何故でした?

 

 

お金が必要なのは農業をサボって食う権利を得るためです。

 

 

つまり全ての人の夢が叶わないのは、好きなことをやることで農業をサボりつつ農作物を食う権利を得るのが難しいからなのです。

 

少し付け加えると、好きなことをやり込むうちにも、多少つらい思いをしたり、面倒な事が発生しますが、農業をサボろうというのに自分に甘くつらい思いや面倒事を避けようとするから、多くの夢は叶わないのです。

 

 

さて、については十分説明できたと思います。現実に帰る時です。

 

 

 

今、目の前の仕事は面倒です。ですが空調は効いています。これから暑くなっていく屋外よりは快適です。

 

最近は技術の進展が著しいので的外れかもしれませんが、屋外で働く農家さんより身体的に楽をしている気がします。

 

 

もし私が夢から覚めているならば手打ちとするべきところかもしれません。

 

 

少なくとも仕事食う権利を与えているのですから

 

 

総括

 

私達は農業をサボって仕事に現を抜かしていました。

 

 

私達が農業をサボっている間に、誰かが食べ物をこさえてくれています。

 

 

私の考えでは、お金よりも食べ物(それを作る農家の方)に感謝をすべきと思います。

 

 

仕事が面倒な時は、飯が食える権利について思い出すとよいかもしれません。

 

 

夢を追っているなら、厳しい状況に陥った時、自分の代わりに食べ物を作らせる人思い出しましょう。

 

 

色々と書き記す中で、初めから農家を夢見る人サラリーマンを本気で夢見る人などが、考えの中から外れていることを認識したが、本記事における夢とは少年の夢の事を指しています。

 

 

少年の夢とは、歳を重ねると「いい歳してなに夢見がちなことを言ってるんだ」と言われてしまうような職業を目指すことです。

 

 

実は殆ど全ての人が夢を叶えてもいい世界を発想の転換により実現可能だと気づいたのですが、その方法を記すには余白が足りません。

 

 

なので、今回はここまでです。

 

今までより整然とした記事になったかと思います。

 

長文読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

来週もまた続くのじゃ