厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

環境問題について考える

導入

環境問題が世の中を騒がせたのは21世紀に入ってすぐのことだ。今年は地球温暖化の影響か、はたまた全く別のものかわからないが、各地で39℃を連発するなど異常な暑さが続いていおり、連日熱中症被害が報告されている。

 

環境と一口に言っても地球環境だけではない、学習環境や通信環境、労働環境など様々な単語と結びつくことからも環境には色々あるとわかる。こうして展開した以上、お察しの方もいるかもしれないが、今回の話題は自然環境の問題ではない。会社の人間環境についてだ。

 

実は私、2社ほど経験してから今の職場についており、手短に言うと大手研究室、ド中小現場、中小技術と経験している。そして、偶然ではあるだろうが、たった3社の経験の中で「良い職場」を知ってしまった

 

そこで、今回は良い職場経験者の立場から見た悪い職場の共通点を挙げながら人間について考えを述べたい。

 

エリートは悪人ではない

導入を読んだらば、良い職場ってどれなの?という疑問を持つことが至極真っ当だろう。それは、大手の研究室だ。派遣で転がり込み、派遣からの正社員登用実績がないという事実さえなければ退職したくなかったほど良い環境だったと言える。

 

勿論、深く人間を吟味できたか?と言われると怪しく私の知らないところでは何事か起きていたのかもしれないが、それに関しては私が経験した良いところをお伝えすることで払拭できると考えている。

 

まず第一に大手の研究室は人材が凄い、旧帝院卒しかおらず。そういう意味では肩身の狭い思いをした。「となるはずだった」と言えるのが、そこが良い職場だというひとつの証明である。

 

良い職場にいる人は「自分のことを鼻にかけない」常に相手を尊重して発言できるのだ。嘘だと思う人がほとんどだと思うが安心してほしいのは私も悪い職場にしか勤めなければ全く信じられなかったことだろう。相手を尊重しての発言は本音じゃない建前だ、本音ではボロクソに言ってるよと意見されると返す言葉はない。しかし無駄にそれを推し量り生産性を落とすことは無かったうえ、やはり尊重されることで頑張ろうと思え作業を能率的にしようという心が芽生えたため建前であってもそうすることが重要で、それをできるのが良い職場である。

 

また、良い職場の人間は自分のことをできる人だと根っから思ってはいない。これはどういうことか?と言うと、相手のミスに対して理解しようとする姿勢と、自分もしてしまうことがあるかもしれないという態度が言動に現れているということだ。ミスをした人間が自分と近い存在であると思って話せるのは、自分ならミスせずできるという思い込みに囚われていないからである。悪い職場の人間はミスした人間を格下だと思って話す。そのくせ自分は大したことは無いなどと行動に伴わない、即ち本当にそう思ってはいない無駄謙虚を示すところがある。

 

とても重要なことは、こうした理屈自体は悪い職場の人間も言葉レベルで理解できるということだ。つまり、全ての人間が行動レベルの理解に移せるほど高度であれば良い職場は理屈を説明するだけで完成する。しかし、誰か一人でも欠けた時、高度でない人間は「あいつがやらなかったなら俺もいいよね」にすぐ移ってしまう。なにより現在というのは過去より何年もかけて出来上がる場だ。これまで悪い職場として伝統を積み上げてきた歴史を変え、良い職場を目指すには新しい人を良い職場人間に作り上げ続けていくしかない。

 

これは殆ど不可能な話だ。悪い職場の中でもがいて何十年と耐えた人のプライドを破壊し、悪いやり方や言動の伝染を止め、良い人格を埋め込まねばならない。少しだけ方法論に手を出すと、影響力のありそうな社員を選抜して真に良い職場へと送り込み、その存在を知らしめつつ本人が変革のイニシエーターとなるよう意識させることが重要だろう。

 

だが結局のところ、受験のような「それをしなくても生きてはいけること」に対して、高い目標を態々掲げ、目的の達成に努力できる人材。つまり倫理・道徳にたけ統合された意思を持つことが証明されたエリートでないと、イニシエーターとしての役割が「行動レベル」で理解できないのだ。

 

どこかで自分だけが良い職場の人然とした振る舞いをする困難さに負けて、誰かを批難する簡単な道へ進んでしまう。したがって、良い職場に就きたいならエリートとなり良い職場に入るか、新しく作る以外方法はないだろう。エリートを狡猾な者とする創作は多いが、それはそうなれなかった者の過去の怠惰を慰める空想でしかない。またテレビで頻繁に数名程度のエリートが犯した過ちを報道するがエリート全体のうち0%未満であることは言うまでもない。

 

では悪い職場に入ったらどうしたらいいの?と言われると答えはふたつだ。辞めて次を探せか、郷に入っては郷に従えである。どちらを選ぶかは過去に問うと良いだろう。ちなみに私は受験勉強を頑張らなかった弱い人間なので時が来れば分別はつけるつもりでいる。

 

悪い職場に長年居る人

 

私が経験した悪い職場は2社で互いに全く交わりがない。しかし、奇妙なことにベテランの性格は殆ど同じである。これはかなり興味深いことだ。1社ならまだ納得が行く、いや、行ってしまえたのにと言えようか、即ち2つの異なる悪い職場が持つ精神性は同じだということである。

 

まず悪い職場のベテランはすぐに人の陰口を叩く。「〇〇におるアイツは大した仕事してない」「どうせ楽してる」「しょうもない仕事や」等という愚痴をよくされる。戯れとなっていれば本人にも言うが、やはり陰で言うのが主で正直女々しいし自信のなさが伺える。

 

想像すると少し怖いのは悪い職場しか見なかったら、これに違和感を覚えなかったと思うところだ。にわかに信じられないかもしれないが道徳的に優れたエリート達が作り上げる良い職場は「人の仕事に対する悪口」をすぐに咎める文化ができあがっている。これは相手への尊重が根付いていることの証明だ。また、このような理想の姿を知らないことはそれ自体がないように思わせる。しかるべくして新人は悪い職場人間に育つし伝統的に悪い職場が、悪い職場であり続けるのはそのためだ。

 

次に彼等は改善を面倒事と捉える「言い出しっぺは損をする」というのが彼らの口癖だ。残念ながら悪い職場においてそれは正しく、同意せざるを得ない。これはまだ未経験なので不確かだが、変更にはリスクが伴うのでネガティブなチェックを要する。どうやら悪い職場では上層の言葉遣いがよろしくないようだ。小言のように否定的な意見を言われるため、改善点を見つけてもどうせ現状維持だろうと意見を出さなくなる。卵が先か鶏が先かわからないが悪い職場には悪い伝統があり、また悪い伝統を生み出していくのである。

 

そして、これが大目玉なのだが悪い職場の人は「どこへ行っても同じよ」と言うのだ。これぞまさに「悪い職場スピリッツ」、悪い職場のベテランと話をしていて一番、出たなと思うセリフである。もうおわかりだろうがどこへ行っても同じではない。おそらく自分の過ごした数十年が悪い職場におけるものであり、その厳しさに納得したいのだろうが、全ては怠慢と悪い伝統によるものである。

 

悪い伝統・環境の中でも、人は生きてしまうし自分を誇る性質がある。厄介なことにそうしないと死んでしまうことさえある。だから悪い伝統と環境の中で誇れる自分になりたがり、もはや不要となった厳しさを新しい人に与えてしまうのだ。悪い職場人間はそう在ることがプライドで心の支えになっている。全てはもう起こったことで仕方の無いことなのだ。もし彼等が本当は現実に存在する良い職場を見た日には、その日が命日になることさえありうるだろう。

 

終わりに

色々と厳しい発言をしたが、私自身はというと悪い職場の中で適応し甘えと妥協のスタートラインに立っている。

 

良い職場を見た経験も記憶の彼方に消えそうであったため日記にとどめることにしたのだ。

 

真に弱い人間である自分を言葉レベルの理解を超えて認識し、行動から慎ましさが滲み出るよう努めたく思うが正直難しいだろう。環境は人より強く大きい、そのせいにせず良い職場人間へと変わるのは強い話だが難しすぎるのである。

 

もしこのまま悪い職場で働き続けることとなり職場を変えられるほどの立場になった時、まだ良い職場を忘れていなければ善処したい。

 

…何やら真面目で堅苦しい話になってしまった。正直想定外だ。ここまで読んでいただいてるならまっことありがたい。

 

次は明るく楽しい話がしたいなあ、

 

それでは!