厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

【超雑記】5エスしよう、5エス

はじめに

(本来はアルファベットでエスを書くべきだが真面目な人間がこんなクレイジーな記事に引っかからないよう5エスとする。)

 

そろばんは使うと珠の位置が移動して、別の計算が出来なくなる。

 

コンピュータはもう少し複雑で、テキトーに言えばたくさんのそろばんで複雑な情報を処理するようなものだろう。コンピュータほど高度なものでさえ、なにかを考えていた跡は少しずつ残り、計算を処理するスペースはだんだんと減っていく。だからこそ、たまに再起動をして初めからやり直すことがある。

 

人間の脳みそもきっと同じで、生活してるとしんどくなってくるのは、考え事の上に考え事が積み重なってビジー状態になるからに他ならない。最近やりたいことが増えすぎているのに仕事なんざをさせられてる私にとってこのビジー状態は頻発する現象なのだが迷惑極まりない話といえる。現代に生きる人々の多くもまた「本当に自分がやりたいこと」と「生活のためにやらなければならないこと」双方から出される宿題によって頭を悩ませているに違いない。

 

というわけで精神的な5Sをしようと思う。その方法を書くことでだ。

 

5エスってなんぞや?

端的に述べると整理、整頓、清掃、清潔、躾の頭文字をとったものをいう。そしてこの言葉は、よく理解してようがしてまいが大抵の場合は整理整頓しようという意味で「~する」という形で用いられている。

 

本当の5エスの話などしてしまうと折角の休みが台無しになるので絶対にしないのだが、私が気づいた精神的な5エスに関してはちょっと面白く感じたので記事にしてまとめようと思った次第だ。取り敢えず具体的な話へと入っていこうと思う。

 

様々な5エス

 

・祈るとは精神の5エスである。

人は祈りを捧げている時、強く何かを想うことしかできない。この「しかできない」という状態は「やりたいこと」を頭から取り除くことになる。つまり、整理が自動的に行われるのだ。そこから祈りの目的となる今あるものへの感謝を高めていくと「生きていくのに必要なもの」が見えてくる。これは整頓だ。感謝の気持ちを強めると清掃が進み、心は清潔になる。躾は習慣的なものなので割愛するが、祈ることは確かに5エスである。

 

少々宗教色のようなものを感じさせてしまったがそう言ったことを無視してでも話は伝わると思う。流石に願望ではあるが…

 

・山を登るのは5エスである。

時間がより多くあるのならば、精神的な5エスに最適なのは登山だろう。一心不乱という言葉があるのだが、おそらく無事に山を登るにあたり不可欠な意気であろう。山登りのような「自分に関わる人を減らし」「生きて帰ることを第一とする」行為は自然の中で人が生きるのに必要最低限なことを浮き彫りにする。精神は、自ずと整理整頓されるのだ。頂上で深呼吸すると喧騒が産んだ夾雑物は除かれ、清潔な空気が入る。こうして山を下った後はまた少しずつ複雑な問題に取り掛かることが出来るのだ。

 

・退行することは5エスである。

なにやら如何にも真面目な記事のように振舞ってきたがこの記事のサビはここである。

昨今(正確には少し昔であるが)インターネットに興じる人々の多くが二次元のキャラクターをママと呼んでバブみを感じてオギャる事例が多発している。私はこれに幼児退行の秘める新たな可能性を感じたのだ。そしてこの精神的5エス論を打ち立てるに至ったのである。

何故人はバブみを感じてオギャってしまったのか?それは退行することでまとわりつく余計なものを祓おうとしたからである。赤ちゃんには複雑なことをする能力がないと考え、それになろうとすることで心は複雑な問題を忘れある種の一心不乱状態になる。望みこそ消えぬ方法だが、生きているってこのレベルから始まっているんだなと再認識すると心に凪が訪れるのだ。

実際に赤ちゃんではないものへと退行する方法を日本でプロフェッショナルとして働いている人が実践している。女子アナウンサーの宇がき美里さんだ。日本において女子アナウンサーとは知的なイメージが強く、複雑な事象を解説することも、また高度な話し方の技術で要点が伝わりやすくすることも望まれる。一瞬でこなさなければならない事の多い難しい仕事だ。倍率も高い。これは推測でしかないが「代わりがきく」等と何度も言われたことだろう。そんな彼女の秘術こそ「好きなキャラクター、マイメロになる」というものである。私は退行による5エスを見出したとき、なるほどこれは巧みだと気づかされた。マイメロというキャラクターは人に比べ知能が低い、ひたすらに愛嬌を振り撒き好物のイチゴを食べたがる複雑な事象からかけ離れた存在だ。これになると、確かに「一見して重要で複雑に思える要求されたこと。」は心から消える。「幸せの為にしたいこと」がディファインされる。つまり精神的5エスが成り立つのだ。そう、高度な要求に答える人もまた退行によって頭を整理整頓しているのである。

 

つまり、幼児退行することは高度な精神管理術なのだ。よって私はこれが活発に行われることに疑念なく、寧ろ積極的幼児退行は奨励されるべきと考える。すなわち現代を生き残るためには恥ずかしがることなくバブみを感じてオギャッとけと言いたいのだ。

 

終わりに

つい熱くなってしまったが精神的な5エスはストレス社会において重要である。何も恥ずかしがることなく知能の弱いキャラクターに自らを投影したり、二次元キャラのタペストリーに向けてママと言って良いのだ。

 

ただし、人に見つかった場合は社会的地位の低下を免れないため決して見つからぬようこっそり行おう。用法用量を間違えると薬は毒に変わる。みんな知っているね。

 

っつーこって

 

では!