厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

タイムマシーンが一度使えたら

導入

それなりの期間日本で生きてみると、日本人は自分たちを頭のいい頑張り屋だと思う割に、結構どうでもいい話で盛り上がるのが好きだなと感じることがある。例えば「無人島に何か一つ持って行けるとしたら?」とか「明日が地球最後の日になったらどうする?」だとか、「宝くじが当たったらどうする?」「ドラえもんの道具が一つ使えたら?」等のことだ。

 

適当に酒を呑みながらこのレベルの尽きない話をするのは何も悪いことではない。話題の生産性などはともかく、何故か真剣に考えて議論することもあるし、その中で思いもよらない考えを述べる人がいたりするのはとても面白いことだろう。

 

タイトルに載せたタイムマシーンが一度使えたらどうする?という議題もこの手のものだ。人類の歴史的瞬間へと立ち会って帰ってくるもよし、太古の巨大生物を見てもよし、今は亡きスポーツ選手や芸術家を生で見たり当時の評判を知ることも出来る。他にも遥か未来に行って文明の行く末を体感したり医療の限界について知っておくのもありかもしれない。

 

ところで皆さんはそんな夢のある話をしている時に現れる「水差し野郎」のことを知っているだろうか?

 

ソイツは自分のことを頭が良いと思い込みながら、誰も面白がらないクソみてえな話をしたり顔でするゴミッかす。明日を生きる必要性がない人間だ。少なくとも来世はサルになった方がいい。面白くない存在だ。

 

もし神が私に「今年亡くなる人のリストを作成するのだが、選考基準を決めてほしい」と仰ったらば、間違いなくタイムマシーンが一度使えたら何するかの話題において「水差し野郎」かそうでないか?を基準に入れる。ただ、日本人は結構亡くなってしまうかもしれない。…少々言葉が荒っぽくなったが、私にとって「水差し野郎」はそれほどの悪なのだから許して欲しい。

 

さて、そろそろ「水差し野郎」について説明しよう。何分なんの説明もなく話を進めると、読んでいる人も知らずのうちにゴミっかす扱いされてるのでは?と思ってしまう恐れがあり大変危険だからだ。だが、とても簡単な話だ。このブログを読もうとするような風変わりなタイムマネジメント能力の持ち主なら「水差し野郎」でないことだろうと思っている。いや、そう信じたい。

 

敢えて少し間を置いたがとうとう言おう、「水差し野郎」とはタイムマシーンを用いて「楽して資本を肥やそうとする人間」のことだ。具体的には「宝くじの結果を見に行って6億当てる」とか「かつての万馬券レースを買いに行って大儲けする」ということを宣う輩のことである。今まさに「ああ、いるよねそういう奴」と思っている方も居るだろう。実際この返答はありきたりなものだ。しかし、あまりに大きな問題を含む答えなのである。

 

ここまで言ってきたのだから無論のことではあるが、今回の記事ではこの返答に含まれる問題を詳しく説明していきたい。

 

剥き出しの人になる

この世界に人が現れてどのくらい経っただろうか?地球の誕生から現在までを一年とすると日本の歴史はたったの一分だそうだ。では加えて質問をしよう、日本の歴史うち資本主義だったのはどれくらいだろうか?(これには定義上諸説あるが)そう多く見積もったとて3秒程度が妥当な(最大公約数的)回答だろう。

 

先述の例えに従うと人生なんてカメラのフラッシュよりも短い時間のことだ。そしてタイムマシーンはその瞬きの中で経験できない時まで運んでくれる。「超人的行動」を許すのだ。

 

もう少し話を横道に入れよう、恐竜達の時代にお金はあっただろうか?当然ありはしない。「お金」は「人間の決めたルール」にすぎないからだ。これをふまえると現代人の多くは自分達で作ったはずのお金にいつの間にか生活を握られ、本質レベルでは価値のないものに魅力を感じているだけといえる。

 

そして今、本筋に戻ると何となくおわかりいただけると思うのだが「タイムマシーンに乗って知ってる範囲の時間へと飛び楽してお金を増やす行為」はタイムマシーンを使ってまですることではないのである。

 

タイムマシーンを態々使うなら、人の経験できる範囲(確かに資本がないと生きてるうちに経験できないこともそうではあるが…)を超えてリアルな体験をするべきなのだ。

 

確かにこういった心理には稼ぐことなんていくらでもできるという根拠の無い自信が含まれているし、タイムマシーンの詳細な設定がない以上、現代の自分に何一つ金銭的な利得を生まない大幅な時間跳躍は賢い選択と言い難い。それでも私がそうすべきと思うには、更に本質的な価値基準をもってしてのことである。

 

どういった価値基準であるかは次に説明する。

 

連続する人生

タイムマシーンを使って資本を肥やすアイデアと言うのは何ら貴重なものではなく、誰もが考えることだ。それだけで何一つ面白くないのだが、より面白くないのはその先さえも見えてしまうことである。

 

何かが「やりたかった」訳ではなく「お金が欲しかった」だけの人の考えることなど時間と場所が少しズレるだけで大概似たようなものだ。仕事を辞めて時間と酸素を消費しながら美味いものを食ったり飲んだりして、とりあえず知ってる限りの幸せを手にしようとする。上手くやればその全てが手に入るだけの金額を稼げはするだろう。

 

問題はその先だ。沢山のお金をもつ人は沢山のお金を持つ人に課せられる暗黙のルールを知っている。何を手にして良くて、何はお金でも手に入らないのかがわかっているのだ。しかしタイムマシーンを使って手にした資本には文脈がない。信頼のない無秩序な欲望の元に金だけがある状態だ。これは明らかに危険である。

 

また、長い間ルサンチマンを抱えて生きた人間は根に「資産家は悪いこともしてなんぼなんでしょ」というありもしない疑いが染み付いてしまっている。そのうえでタイムマシーンを使って資本を肥やす以上のことを考えられない創造性しか持たないのだから、短絡的な幸福を貪るうちに薬物や過度なギャンブル、夜遊びによって身を滅ぼすのがオチなのだ。

 

これはなんとも「真っ当な」資本主義下の人間なのだが、それそのものすぎて本当に面白くない。まだタイムマシーンを使って人類初脱糞を観測しにいきたい人の方が何倍も面白いと言えるだろう。

 

改めてまとめると、ただただの夢のある話の最中に連続する人生を考慮に入れず目先の金を優先する考えを名案だと思ってしたり顔で話す人間はつまらないということである。

 

そういう人だけにはなりたくないものだ。

 

終わりに

私は別に資本主義でダメとは言っていない。いや、これに取って代わるものを生み出せない凡夫だから言えないというのが正しいだろう。

 

ただ人生の本質を見落としやすいシステムであることは確かで、そのうえで見落としていることにすら気づきにくくさせる程にお金が強くなっていることは問題だと思う。とはいえ「何かしらクリエイティブなことをして、自己表現をした方が良い」というのは私が勝手に思っていることなので人生の本質を取り違えているのは私かもしれない可能性も無視できない。

 

(この日記読んでる人数名ですからね)

 

ただ人間として面白いって言われる方が退屈な奴と思われるよりは遥かにマシだとは確信を持って言えます。

 

だから私はたらればトークの時に安易で資本主義的な正解に走らない大人で居続けたいです。

 

 

それでは!