ローマ皇帝、特に五賢帝と呼ばれた者達の最後の一人であるマルクス・アウレリウス・アントニヌスは、高校生になった子供たちの前にその名前の長さをもって現れ記憶に爪痕を残したことだろう。
そんな彼も何をしたの?どんな人なのと聞かれると、名前しか知らない人が殆どでかく言う私もその一人だ。正直、今もよく知らないのだが『自省録』という著書があるのは確からしい。
この『自省録』、Wikipediaによると自分宛に書き続けた短い散文の集積らしい。なんと、このブログっぽいではないか惚れる。いや、私がローマ皇帝だったのかもしれない。
というのは冗談で
まぁぼちぼち私も自分宛に短い文を書き散らそうと思って書くこととしよう。というわけである。(いつもの事とか言うなやい)(あと自省録読んだことは無いです。)
厨二病か?精神病か?
正直、厨二病を盾に言いたいことを言うなんてやってきたけど精神病ではないか?精神年齢が追いつかなかったことを軽視するためのものでは無いか?と言われたら割とそうだ。
インターネットは性質上、書きなぐりをも表現にしてくれる。その中で少年のような尖りの取れない自分を何となくわかってしまうこともある。この問いの答えはどちらでも正解という事だ。
普通の人か?
このまま賢くなって今の仕事を頑張るようになれば、紛うことなき普通の人だ。こんな日記を書いておいてなどと思う方もいるだろうが、小さな舞台の上にも城が建つように、見える部分さえ普通の人ならば私だって普通の人にはなれる。特別の定義によるが特別な人かどうかはまだまだ今後次第だろう。結論を急く必要は無い。
進歩してるか?停滞してるか?
難しい質問だ、今更成長しようとなるとやはりその速度は速いとは言い難い、まして仕事を一先ずこなす方向でと言って流している人間に実感の伴う成長など程遠いやもしれぬことだ。その上仕事に時間を制限されてもいる。
今や芸術に優れようと言って頑張る者など吐いて捨てるほど居て、やると言ってブログ以外してない(公表してない)状態なので社会的には何の進捗もなく時間を浪費しているだけと言われれば返す言葉もない。
私的にはしていると思っているが社会的には停滞してると言うのが正解だろう。
何の為に生きるのか?
少なくともただお金を稼いで、目的のものを買うだとか、お酒を飲んでストレスを解消するだとかことを繰り返すためだけにつらいこととかやりたくないことを我慢できる性格ではないらしい。それ以外のために生きて、生きていける方法を探している。
どうして今こうなのか?
自省録と書いて最もすべき自分への問いかけが恐らくこれだろう。まあこのブログの初めの記事にも書いたのだが、何一つ挑戦せず。資本主義的な安全を確認して進んだ結果、それが全然肌に合わなくて厨二病再発して重症化したような感じだ。これに関してはある種の冷静さを保つため「お前そういうとこあるぞ」と自分に問い続けたい。おそらく重要なのは自分がどうなっていくにせよ懐疑することだと思う。
終わりに
いつもに増して散文だが意識の高いことを言った気もする。最近はこいつ死ぬまで悩み続けるんじゃないか?進化できないコダックみたいな人生送るんじゃないかと思い始めてきた。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスの自省録がどういうものか知らないが、大昔の人間も不安に思うことが沢山あって「これはどうか?」「こういうことをしている」「それはどうなのか?」みたいなことを書き連ねたのだろう。きっと。
取り敢えずこれでおしまい。1500文字程度。