厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

Talking everyday

導入

(※重要 これはあくまで雑談についての話です)

 

…皆さんは喋らない日がありますか?

 

多分あまりないと思います。全くないと言えなかったのは私自身の一人暮らし時代を思い返してのことです。

大学時代、私は中々勘が鋭かったのかインターネットぼっちマンとなる少し前、まだギリギリ限られた人以外の人とコミュニケーションできたころに高身長イケメンの友人へ問いました

 

「会話ってどうやれば面白くなるの?」

彼は私に向け少し気の毒なものに向ける苦笑いをしながらこう答えました。

「適当だよ。」

こう見えても当時の私は会話において「卓越」したかったので、いい加減な返事に心底ガッカリしたものです。

 

しかしながら時は流れ社会人となり、日々私は大丈夫ですよという信号を送り続けている中で、浅い人付き合いと会話が増えていくことを悟った私が見出した会話の極地は皮肉なものでした。それは…

 

「会話って、適当でいいな。」ということです。

 

という訳で説明を始めます。

 

テンポが良ければ、ええねん

 

思い出してみましょう。楽しい会話をした日のことを、すると気づくことがありませんか?

そう、特に内容を覚えていないんです。あの時あの人とあの話題で喋ってすごい盛り上がったというのは覚えているかもしれませんし、勿論覚えている内容も僅かにあるかもしれません。

 

しかし、余程面白くて冴えた話の展開をしない限り「あの時お前が言った。○○ってとこめっちゃ笑った。」とか「その返しもずるいくらい面白かった。」とか言う程、具体的に内容で面白かったという記憶は殆どないのではなかろうか?それよりも何となく気分がよかったというの方が大きかったりするのではないでしょうか?いや、おそらくそうでしょう。

 

さても今、実は当たり前のことを言っているだけのように思えます。全くその通りなのですがこれは意外と重要です。冒頭の行で私は会話を上手くなりたいと思い質問をしたと言いました。つまり、当時の私は発話の内容が面白いことに重点を置いていたのです。

そう、当時の、インターネットぼっちマンになりかけの自分がです。

 

この経験をふまえて、私は「会話は適当」という当然の極意に気づくまで時間を要した原因を「健康的に成長した人に比べ、インターネット上の会話が多かったから。」だと考えました。

もしかしたらこのブログを読むであろう、少し重めのインターネットユーザーにとっては引っかかりがあるやもしれない発言です。なので、もう少し詳しく説明していきましょう。

 

ただ、詳しく説明するといっても小見出しに書いた通りと言えば書いた通りで、一つ伝えなくてはならないことがあるとすればインターネットと現実の会話にはテンポに恐ろしい程差があるということくらいです。そして、私はそれが少し重めのインターネットユーザーの中に生まれるありがちな発想にも繋がっていると考えています。よって私の経験をふまえ、このテンポの妙と発想の繋がりについて解説しようと思います。

 

インターネット面白マンは面白い

私の偏見ですが、インターネットでの発言が面白い人というのはスクールカーストが低かったのではないかと思います。何故か?それは発言の内容が面白いことにこだわっているからです。そのせいではるかに重要なテンポが悪く。印象も悪かったのだと思います。また、裏を返せばインターネット面白マンの発言はちゃんと面白いということになります。

 

インターネットの発言及び会話はテンポが異様に遅く、ログも残ります。なので何度見直してもある程度面白いと思える文章的な工夫が必要です。ある程度と言うのは飽きてしまうことを考慮してのことで、論理的に分解してどこにおかしさがあるのかわかる文を面白いとするのがインターネット、文章による会話です。

そして、こういう前提のあるインターネット上のコミュニケーション、特に匿名掲示板でレスがつくような面白いことを言おうとしてきた人は、面白い発言=テクニックが含まれたものと考えがちです。

だからインターネットメンにはわからないのです。テクニックもなにも含まれていない話で盛り上がっている人達の気持ちが、その証拠としてインターネットメンは現実のテンポ重視の会話で盛り上がっている様を「ウェイ」と呼ぶのでしょう。

 

そうしてリア充と思しきグループがノリとテンポの会話で盛り上がってる隣で「何も面白いこと言ってないじゃないか」と小馬鹿にしたような態度をとっていたと予想されますが、そんな考え方で面白いを捉えていると間違いなく孤立します。よくインターネットを重く利用している人のぼっち率が高いという話は「卵が先か鶏が先か」の論理で片付けられてしまいますが私の個人的な意見では「インターネットを重く利用し始める」→「ぼっちになる」だと思います。

 

あとフリートークが面白くないのにコントや漫才がすごく面白い芸人というのもポツポツ聞きますが、それもこの部類と私は考えていて、そういう人は「面白い」のテンポや論理をまるまる作ることこそ得意であれ、会話の中に生まれる面白の断片を拾うことは不得意なのだと思います。

 

なんであれ、現実の会話はテンポです。内容は二の次、ときには勢いだけで笑いに持っていくこともできます。

 

ここまでをまとめると

インターネット上

面白い会話=面白い内容○

 

現実の会話

面白い会話=面白い内容✕

面白い会話=テンポがいい○

ということです。これは私が今回最も伝えたいことなのでここだけでも読んで欲しいところです。

 

終わりに

人間を初めて後少しで30年が経ってしまいますが私は漸く基本的なことがわかり始めた次第でございます。幼き頃に夢を追い、己に存在する様々な限界を知ることのできた人に比べると30年近い月日が嘘のように幼稚な所にいます。

 

或いは会話というものは、考える必要もなくこなせることなのかも知れませんが、この頃は私は遠回りをしたものだなと思うことばかりです。

それ故に会話について記事を書きましたが、全て知っていることで目新しいことが無かったら申し訳ないと思います。

 

ただ、誰かにとって簡単なことが私にとって難しいなんてのもよくある事なのだと思いませんか?まあ、ひとまずそういうことにして今回は結びとしたいです。

 

それでは!