厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

【作詞】別れたころのように

 

緑の雨が落ちる季節に

君にまたねと告げ手を振るよ

いつしか時は経ち もみじを拾う手は

しわだらけに なっていた

(半サビ)

 

歳を重ねる毎に 体の調子が気にかかる

昔の友人にも 自然と会わなくなってった

たまに疲れた時は 子供の頃を思い出す

今何してるのかな? 街であって気づけるかな?

(A)

このまま死ぬのだとしたら

あの日に交わしたさよならは

最期になあってしまうよな

離別か死別か区別もつかないな

(B)

 

緑の雨が落ちる季節に

君にまたねと告げ手を振るよ

いつしか時は経ち おじいさんになっても

僕は 君を 忘れない

 

同じ顔で思い出す君と

ホントの君が違っていくよ

いつしか時は経ち もみじを拾うては

想いを歌に 乗せていた

(サビ)

 

季節が巡る毎に 友の生き死にが気にかかる

未来の展望も 変わり映えしなくなってった

たまに疲れた時は 懐かしい歌を思い出す

今も変わらないなあ いつ聴いても勇気がでるや

(A)

このまま死ぬのだとしたら

あの日閉ざした可能性は

最期になあってしまうよな

生きてたかどうかの区別もつかないな

(B)

 

緑の雨が落ちる季節に

君にまたねと告げ手を振るよ

いつしか時は経ち 変わらないものがあっても

僕は 徐々に 老いていく

 

同じ顔で思い出す君と

ホントの君が違ってく様に

いつしか時は経ち もみじを拾う手は

しわだらけに なっていた

(サビ)

 

桜の雨が踊る季節に

君の手を取り僕も笑うよ

いつしか時は経ち 変わったことばかりでも

体 熱を 失くしても

 

別れた頃の姿で君と

その後の人生を語り合える

時は意味をなくし 桜を拾う手は

あの日と同じ 色してる

(サビ)

 

ノート

出会った頃のように〇〇できたらというフレーズをよく見るので、逆を考えてみました。

 

 

 

は典型的なぼっち型の人間で、小中高大と進学するにつれて友達は入れ替わり、その数も減っていきました。

 

それでもわりと人生を楽しむ努力は(おそらく)していて、インターネットでこうしているのもそのひとつだなと思います。

 

 

モテたわけでもないので、来たる惜別の時に出会った頃思い出してどうこう考えたり、どうしてこうなったのかと悩んだことはありません

 

どうしてこうなったと思うこと自体は多いですが…。

 

 

 

それでも偶には旧友と昔話して感慨にふけりたいと思う時はあります。

 

ですが、変わり果てた彼等に会うのは変に緊張しますし、歳をとって表情と心情を別にすることも多くなったので妙な勘繰りをしてしまいそうです。

 

 

そこで、少なくとも別れた時と同じ姿なら同じ感覚で話すことが出来るかもと思いました。

 

また、私は日頃から死後の世界で小学校の教室に戻りあの頃そのままの姿で、その後の人生を語り合う会がしたいと考えています。

 

 

それを今回は詞にしてみました。