ありがとうとごめんねが言える人という表現の危険性について
ありがとうとごめんねが言える人とは
ありがとうとごめんねが言える人。という表現があります。これは、然るべき場面で「ありがとう」と「ごめんね」が言える。人として最低限度の礼節がある人、を表しています。自分がそういった人を目指したり、他の人にも、あるべき像として示す分には、問題のない表現だと思いました。
先に結論を言います。この表現は自分の求めるパートナーの人物像に据える場合、とても危険です。
理由は、この表現に付いてくるニュアンスの部分にあります。以下にて、その説明を進めていきたいと思います。
丸と三角が描ける人
例えば、超有名雑誌で連載している漫画家さんが、最近アシスタントを切って、改めて募集を出しました。その要項にはこう書いてあります。
丸と三角が書ける人。
丸と三角をどのような図形か認識し、最低限度伝わる形で表現出来る殆どの人はおそらくこの募集に応募しないでしょう。理由は書くのも面倒なもので、その正確さ、その時漫画に必要な丸や三角を描けないと分かるからです。
でもかっこいい男の子とか可愛い女の子が、マッチングアプリ等で求める相手像にこう書きました。
ありがとうとごめんねが言える人。
かなりの人がこれに応募するでしょう。しかし、本質は漫画家の時と同じ事なのです。既に言うまでもないですが、これも上手く行きません。
それでも私は、このケースは上記の例より頻発していそうだと思いました。原因の殆どが、この例示で伝わっているとは思いますが、相手に求める「ありがとうとごめんねが言える人」は、かなり邪悪な性質を含んでいると思うので、もう少しだけ説明を続けたいと思います。
深いようで浅い
相手に求めるものはなんですか?という問いには、「細かい変化に気づいてくれる人」「色々と察してくれる人」「気配りが出来る人」等も答えることが出来ます。些か欲張りというか、難しそう、面倒くさそうに感じますが、応える自信がある人にはおそらく、それなりの実績もあることでしょう。つまり、こういう事を素直に求める人は、ちゃんと幸せになれる。私はそう思います。
さてここで問題児「ありがとうとごめんねが言える人」です。これはハッキリ言うと、上述した条件と同じものです。
この言葉を相手に求める時、人は無意識に「(私の心情を察した然るべきタイミングで)ありがとうとごめんねが言える人」を求めると思われます。究極的なケースだと「自分に落ち度があっても相手からごめんねが欲しい時」に「ごめんね」が言えない人はダメとなります。あまりにも利己的で強欲な話です。
しかも、タチの悪い事に、記事の初めで書いた通り、この表現は人として最低限度の礼節がある事を表すので、自分を最低限度しか求めていない謙虚な人間と誤認してしまうのです。
この事こそまさに、ありがとうとごめんねが言える人という表現の持つ危険性そのもの。当人に自分は謙虚であると思い込ませ、表現の聞こえの良さから強欲に気づく可能性すら蓋をし、袋小路に閉じ込めてしまいます。
自分は欲張りでは無い、そう言いたくて、一見して人間的深みのありそうな、この表現に手を出せば、結果強欲な自分を謙虚と誤認してしまう。ひねくれ者に相応しい顛末が待っているでしょう。
ありがとうとごめんねが言える人
最後に言いたいのは、二度目になりますが、自分の目指す像として、ありがとうとごめんねが言える人を掲げる分には問題ないということです。
おそらくそういう用法の表現なのだと思います。そして、できる相手を求めるというのは、誤用に留まらず。危険な誤用だということでしょう。
また、これを相手に求める人と出会った人に一言。
相手は心情を察して欲しいタイプの人だから面倒くさがらずに付き合うんだぞ。
といってさよならしたいと思います。