厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

誰が読むか知らんけども

お久しぶりです

久しぶりに書き留めておきたいことができた。と書くと、それが嘘であることを思い出す。

 

実際のところ、書きたいことは浮かんで消えてを繰り返していたし、時間も無いわけでは無かったはずだ。つまり久しぶりというのが嘘だ。

 

けれども、何かを書き留めておきたいとか、そういう事より、ただ創作物を観たり読んだりしてぐうたらと過ごしていた。(お絵描きとかほんの少ししてたけどそれも休日ですら一時間程度だった。)(バンド練習は週一でしてた。)

 

有り体に言えば、何もせず、会社に行って働いて食って寝ての生活になっていたのだ。

 

それは本当につまらないことだ。

 

わざともう一度同じことを言うと、会社に行って働いて食って寝ている人間はクソほどつまらない人間で、私はそれになっていた。

誤解しないで欲しいのは、もう今の職場が嫌になったとか、そういう訳では無い。実際、意欲的に勉強した事柄も少なくないだろう。

 

ただ今はまだ変化に乏しく。日本国内を激しく動く刺激的な働き方はまだ出来ていないのだ。

 

祖母の死

前の記事から現在までで、自分にとって1番大きな出来事と言えば祖母の死だ。インターネットと言うのはどうにも色々な事を軽く捉えさせる特徴を持つが、軽い気持ちで書いているわけなどない。

ただ、事実を述べるなら、物凄く落ち込んだ訳でも無いとは言えるだろう。変化や刺激の話をするならば、祖母はもうそこそこの間、それを望める体調では無かった。そして死もまた必定の理だったのだ。

 

祖母を泣いて送る人は居なかった。大切に思ってなかったわけじゃない、分かっていたことだから。

そして、自分がぼんやり思ったのは、祖母は祖父が亡くなってから七年をどう生のだろうということだ。理由はそんなにない。

 

自分も歳を食って痛感するが、この人間という生き物は、歳を取ればとるほど、新しい何かを得られる可能性が物凄い勢いで減っていく生き物だ。

 

具体例で言うと、七年前、祖母は祖父を失った。それは悲しいことだけれども、見方を変えれば更に新しい人生の始まりと言える。だから、新しい恋にでも目覚めようかしら!新たな可能性を模索しようかしら!と考える事もできるはずだが、実際問題でいうと、人間中々そうはいかない生き物なのだ。

 

いや勿論、それ自体あまりに常識を超えた判断であると理解はしているが。一般的にそうは思わないという常識的観念を超えてもなお、どの道不可能だというのが事実だろう。

 

より明解にすると、老いはルッキズムどうこうのレベルとは違う次元で人の外見的魅力を減衰させるし、何より体力を奪う。若い頃と同じように遊びに出掛ける事は難しく、肉体は恋や新たな可能性の模索に適した状態ではなくなってしまうのだ。

 

これは圧倒的な事実だ。かと言って、可能性に満ちた少年の頃に、手を伸ばした先が応えてくれる世でもないというのに、一体何が生の意義になるのか。

 

ただ、祖母が旅立って思った。少し長く精神は休んだが、ーいや、真実は本当に忙しくしていたのだがー、やはり、その生に少しだけ長く意義を与えるのは、我々子々孫々の役割であると言う事を。

 

そして、それと思った今、私もまた後代に残る者を授かる為に、努めなければならないと痛感した。

 

痛感した次第である。

 

最後に

リハビリも兼ねて、と言うよりも、これからまた少しブログを書こうと思っているので、今回はこの程度で締めたいと思う。

 

思えばこの活動もまた爪痕であり、やはり思考を残す事は大事だ。読み返すには充分恥ずかしい内容だが、無いよりはいいかもしれない。これは備えなのだ。

 

誰かがこれを、しかもここまで読んでくれたなら、私がその人にやってみて欲しい事を書こうと思う。

 

それは「問答法」だ。

 

それでは、また。