ばあちゃん来たる
祖母、襲来
今日から祖母が家に来ます。祖父が死んでもう何年も経ち衰弱しているので襲来というのも仰々しい話ではあるのですが、祖母と共に親が帰ってくるとなると襲来と言わざるを得ないでしょう。
別に今回は親の悪口を言うつもりでは無いのですが、私は母のことを、父と祖母への接し方を見るに、一方的に相手を低く見積もって自分が世話しなきゃという使命感から強い言葉を使うタイプだと思っています。それに伴い他者の才能や可能性、能力を信じない傾向にあるので、祖母が出来ると思った事を(恐らくできたであろうはずなのに)強い言葉で咎める姿を見てきました。その結果衰えた可能性も感じています。
(あと、父の起業を押せなかったのも。確かにその器では無いと今は自分も思うけど。失敗させて離婚するルートもありだったから結局裏目ってる気がする。)
兎も角も、ばあちゃんを連れて親父と母が帰ってくる。最早これは襲来なんだ。心配だなあ。
共同生活
人間が人間と暮らす。それは必ずしもいい事ばかりではありません。時に自分の幸せを強く望む心がかち合って全く逆の結果を生み出してしまうこともあるでしょう。
そんな時に一家に一台欲しいのは譲歩!ですよね。譲歩に美徳を感じましょう。
ああ、言わんこっちゃない。また親父が祖母の介護で忙しい母の隣で好きなテレビを見る(この人も要介護者なのでテレビを見る事で価値は生まれない)事に拘って喧嘩していますね。
これが譲歩が無いということです。
色々と周り巡って考えた結果、相手に与えて損をするという可能性を恐れずに譲る。全体の調和が巡って自分に益をなす可能性を考慮に入れる。
この二点が重要だと私は思うわけです。
うん。それだけ。