一は全、全は一
導入
鋼の錬金術師というマンガの中で、主人公兄弟が師匠より問いかけられるのがタイトルの件です。
このブログを書くようになってからというもの、より一層この世界とは?のような疑問が絶えなくなりました。
鋼の錬金術師に登場したタイトルの件は、梵我一如そのものだと私は読み解きます。
一流の漫画家や役者、画家、ロックバンド、パンクバンドのボーカルなどの表現者は夢を与えるためにおどけるところがあるのでしょうが、本当は頭が良いです。
勝者や強者に限って爪を隠します。
そのせいで随分多くの考えが甘い人は世間の歯車になるよう誘導され、気がついたら普通の人になっています。
あるいは、敗者かもしれません。
しかし、この世界においてあまりに多数であっても、その一部でしかなくても心が満足さえしていれば良かったりします。
一の心が満たされていれば、全が美しく見えるわけです。
今回はとんちのような話です。
私にしては短いので、どうぞよろしくお願い致します。
悪魔のスイッチ
今、貴方の目の前に悪魔の羽を生やした(折角なので)美少女が現れました。
そしてこう囁くのです。
「このスイッチを押すと一つ願いが叶うよ」
すぐに連打する人は、少々お待ちいただきたい。
貴方は今、とても賢明な人間です。
なので、こう返すとします。
「本当にそれだけか?」
真っ当な疑問です。相手が天使のような格好をしてるならまだしも、どう見たって悪魔の言うことをあっさり信じはしないでしょう。
すると悪魔はこう説明します。
「実はこの世界にいる君以外の全人間が今より少し不幸な目にあうよ」
すかさず続けて
「ぼうっと歩いてる人なら小石につまづいてコケる程度かなあ」
というふうにです。
ここで押すかどうかです。
このブログを読む人なら押したらたくさんの人が死ぬことに気づいたかと思います。
今まさに、全世界は動いているのです。
昔、1秒に何人死んでるか?をテーマにアスタリスクかなにかが刻まれたブレスレットが流行った記憶があります。
つまり、今より少し不幸な目にあうと死ぬしかない人が沢山いるのです。
導入で使った言葉を混ぜると
一の心を満たすスイッチを押すと、全が多大なる迷惑を被るのです。
しかし、私たちは人間です。
自分の心が満たされる裏側で人が死んでいても、おそらく気づきません。
スイッチを押す前から人がたくさん死ぬであろうと予想していても、押してしまうことはあるのです。
いつも少し虚しいのは、全てが心次第だということです。
「世界のことを気にかける」と壮大な話をしても現実の自分には殆ど意味がありません。
一を満たそうとする心に悪意はないですし、それは寧ろ当然のことなのです。
そして、少しこんがらがるところもあるかもしれませんが、やはり個体にとっては全が一なのです。
ただ、見えない全にならば迷惑をかけて良いわけではないということは確かで、そのためのセンサーを設けるには一歩引いて考える必要があります。
悪魔のスイッチはその為に僕が考えました。
多分似たような話は山ほどあるのでしょうが、それに関して調べをつけてません。
明日からは少しだけ、世界の全ての人のことを思って生きれるといいな…
総括
勝ってる人、強い人は勉強をしている。
弱い人は、何かしら騙されて生きている。
全世界のことは誰も認識出来ない。目に映った全て、心で思った全てが世界を作る。
全てのことは心次第である。
短いが、以上で記録を終える。
ゴールデンウィークも終わる。