厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

【日々の徒然】年が、明けましたね

1/2(水)のできごと

あけましておめでとうございます。

 

と言っても、少ない読者には、それも、およそTwitterを経由している方が殆どだろう当ブログの挨拶にどれほどの意味があるのかはわからないが、年明けといえばこの挨拶だ。

 

私の年末年始の過ごし方はかなり普通で、親戚集まりに顔を出しながら、マイペースにやりたいことをするのだが、親にとっては価値のない事しかしないのでよく怒られている。

 

そんな私の年末年始、家族の為にしたことと言えば、風呂掃除(槽内の日常清掃程度)、墓参り(清掃、焼香)、神棚周辺の整備(榊の配置、水の交換)、祖母の話し相手くらいだ。

 

後は自分のやりたいゲームやお絵描きをしながら、親が流しているドラマ、オリンピックの身代金(古い録画、2013放送)、アンナチュラル(後半のみ)、相棒を見て過ごしていた。(いや、まだ休みは残っているのだが)

 

今日、私が私のために特筆しておきたいのは、やはり祖母のことだ。祖母は足の骨を折ってから元気が無くなって、認知症も認められてきている。年齢のため、また祖父に先立たれていることもあり仕方ないと感じるところもあるが、正直に書くと私は母がこれを助長したと思う。

 

祖母は母の希望で年末年始を親の実家で過ごしているのだが、その割に母は面倒な事を祖母が言うと怒る。昨日などは朝から怒鳴り散らかしていた。聞けば肌寒さをエアコン(暖房)が寒さの原因だと言うから消してと言われたり、薬の管理について「訊かれた」だけで怒鳴ったらしい。(訊くこと自体に怒鳴られたため、祖母の意思は母に伝わらなかった)

 

怒鳴れば人は萎縮する。若人相手でも、余りメリットは無いが老人相手は尚更だ。

 

とかく母は他人が間違っていると指摘する癖がある。人には栄枯盛衰があるし、歳を重ねても間違うことが減ることは無い、寧ろ増えるというのに、細かい指摘が多いのだ。そもそも人によって考え方、育ち方、理想は異なる。相手の間違いを訂正しようとする行為自体、自分の正しさを強く信じている証左で私にとって好ましくない。いや、多くの人にとってもそうだろうと思う。(ただ、こうして主語を大きくするのは同様の行為と言える)

 

こうした母の怒鳴りは半年前位からよくあって、その度もう少し心を繕って柔らかい対応をしてみてはどうか、とか施設に任せても良いのでは、と提案するのだが「情がない」だの「住み慣れた家に戻りたいのは本人の希望」だの言われ、時にとばっちりで怒鳴られてしまっている。

ゆえに今は何も言わないのだが、介護に特化するため模様替えされた親しみのない家に戻され、娘に怒鳴られる祖母を見るのは快くないものだ。

 

人間ゆえ、それぞれに通したい想いが有るのは然りだ。人の欠点を指摘すること自体は悪とも言いがたい。しかし、正月に怒鳴るというのはいかがなものかと思う。一年の計は元旦にありともいうのだから、そのような時にまで人の粗探しをして怒りを誘発することはナンセンス極まりない行為ではなかろうか。

 

まあ私は上述の通り好きに過ごした時間も多いので、また何も言わずに済ますが、一つ忘れないでおきたいのは、私がそうするように、人もまた私にそうしているだろうということだ。

つまり、何か思うところを押し殺して、好きに過ごさせて貰っている可能性は高いのだから、その点に関して感謝しなければならないし、時折お返しをせねばということである。

 

まあ案外、好きに過ごしてる方が、手間がかからず楽と思われているかもしれない。その逆として、人のために良かれと思ってやることが、ただのお節介になることもあるのだから。

 

正月から愚痴っぽい内容になったが、ここで少々強引に私の2019年の目標と抱負を書いて締めようと思う。

 

目標は「挑戦し続けること」

抱負は「怒らないこと」

 

それでは、今年も一年頑張りましょう。

 

そいや!