厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

論理学が魅力的だと感じたけどどう足掻いても論理的に正しい人間にはもうなれない話

こんにちは

 

今回はとても短い話をします。

結論!

僕は日本に生まれ、特に強く望む職業を持ちえませんでした。

東京大学(或いは世間で言う、そこを卒業すれば高学歴として扱われる有数の大学)を卒業していません。

 

上記二点より、私の論理的に講釈は無意味である。

解説!

非常に簡単な話です。貴方の口は論理を語るが、特に目的もなく大学に行く場合、特に意味も無く有利がつく東京大学(或いは略)に行くのが合理的な判断と言えますよね?と攻められた場合返す言葉が無いということです。

 

学校と図書館を活用出来れば勉強はできます。それをしなかったのは自分の判断です。唯一反論できることがあるとすれば、過去と今は切り離して考えるべき、ということでしょう。

 

僕の主張

何が言いたいかと言うと、「東京大学(或いは略)に行かなかった非合理な人」であるにもかかわらず自分の都合で理屈を振り回そうとする輩が多いように思うという事です。

まあそれもそうです。人は誰も環境が違いますし、理屈は分かっていても東京大学(或いは略)に行けないなんて、ざらにある話です。そんな基準をもって、非合理な人と言われても…と思うことでしょう。

ただ僕としては、それは東京大学(或いは略)に行かなかった集団が共有する言い訳に過ぎず、通用しているのはその母数が多いから。という捉え方もできるのではないか?とも思っているのです。

何より母数が多く通用しているからセーフ!はあるかもしれませんが、「特に目的もなく大学に行くなら東京大学に行くべし」という理屈は誰かが本にするくらい理にかなっていて、僕のような人でも直感的に理解出来るレベルの様々な裏付けもある事なのです。

つまり、論理的に正しい事を突きつけようとするときに本当に自分がそれに足るか考えるべきでは?と僕は言いたい。

 

まあ仕事する上では、敢えてバカになって強引な理屈で押し切る必要もめちゃくちゃあるので仕方ないんですけどね。

 

忘れないで欲しいです。見方を変えれば自分が論理的思考力の低い人間と評されて然るべきかもしれないことを。

 

とまあ、ここまで書いたけど読んでくれてる人が全員東大卒だったらマジで意味無いですねこれ

 

それでは