実力!?実力ってなんだ!?
導入
つい先日、甲子園の100回記念大会が終わりました。私の母校と言えば予選一回戦敗退で、その練習内容を伝聞で知っている私としてはハードな練習の割に選手は育たないものだなあと思わされます。
予選一回戦敗退するようなチームでもハードな練習をしているとなると、勝ち上がって行くほど誰かの一生懸命を否定していくことにもなります。結局のところそれが「実力」なので受け入れるしかないのですが、こうして考えると現実の厳しさを知らされます。
その上で甲子園に話を戻すと、もはやそこは怪物達の集会所、当代一の才能人による舞踏会なのだからマモノの一匹や二匹現れて然るべきなわけです。
さて、少々厄介な問題が提起されましたね?
予選の話をした時、私は実力の差によって勝敗が決まると言いました。しかし甲子園に話を戻すやいなや、才能とマモノの話を持ち出したのです。今大会は大阪桐蔭高校の圧倒的な実力勝ちで例えには悪いのですが、私は実力という言葉に広く認識されている以外の要素が含まれていると考えています。
つまるところ運、運は実力のうちという話がしたいんです。そして運がどこまでの話なのか?そんな話がしたいわけです。
というわけで話を始めます。
実力と言われがちなこと
主観ですが、実力とは本来の実際に備えている能力という意味に加え、物事の練達を示すために用いられる言葉だと思います。その証拠に実力があると言うと、困難なことをやってのけるイメージが湧きます。実力をつけるには訓練する必要がありますが、大きな誤解はまずここから生まれます。それは訓練すれば実力が必ずつくというものです。
それは誤解してないよ!知ってたよ!という方が殆どだと思います。
本当ですか?では問います。あなたは一人で買い物が出来ますか?
これは殆どの人が出来ると思います。しかしながら運悪くその資質に欠けて生まれるものもいます。運も実力のうち、すなわち資質と努力の掛け合わせである実力によって買い物が一人では満足にできない方がいるのです。
おそらくですが多くの人は努力しても140km/h以上の直球を投げれないレベルのことを指して、「訓練すれば実力が必ずつく訳では無い」を考えていたと思います。これは初めに述べた実力という言葉が持つイメージそのものです。もっと思いやりを持ちましょう。誰もが貴方であれば訓練してできたことをできるとは限りません。
資質が運によるものであり運も実力のうちであるとき、人間には間違った考え方が生まれます。「自分にとって簡単に出来ることは相手にもできる」というもので、具体的には先ほどの通りです。
しかし、ここで頭を冷やすと実力の本質から話がズレていないか?という意見が生まれます。8~9割の人間ができることを出来ても実力とはいえなくないか?という考えが頭に浮かぶのです。
実際のところはその通りです。そもそも先程の買い物の話に対し自分で反論すると、買い物をすることが出来ないことを実力が無いとすることは失礼どころか炎上ものです。本人の責任ではなく、運命により訓練しても買い物する能力を身につけられないのに、まるで努力不足のように言っているみたいになるので当然でしょう。
しかし、気づかれたと思います。私が結局運命によりという言葉を使ったことにです。加えて、最初に運は実力のうちという話をしますと言いました。そう、買い物ができないのは実力でもあるのです。
何がこれ程、実力という言葉のうちに混乱をもたらしたのでしょう。
実はとても単純な話で、実力という言葉そのものがとても曖昧なニュアンスで多用されているからなのです。
実力って結局なに?
これまでに実力という言葉を使うには厳しすぎるケースが一つ出てきました。買い物をする能力に関してです。実力を辞書で引くと実際に備えている能力と出るにも関わらず、買い物をする能力は殆ど誰もが持つという理由から実力でないと一般的には考えられがちです。
杓子定規に考えると買い物をする能力は実力です。買い物ができれば、買い物をする実力者になります。しかし実力者とまで言うと、どうしてもイメージが合わないのです。
イメージってとっても曖昧ですよね?
そう、実力って何?と聞かれても私達は辞書を引く他ないでしょう。そして、空気を読んでこの言葉を使うしかありません。
私がこの記事を書いて伝えたいのは、さも全てを自らの訓練による賜物とし他者の努力不足を責める者が実力主義を語る傾向にある悲劇の存在と実力という言葉が常に抱えている運命性の軽視に対する警告です。
ちなみに面白いのが、この話は以前したレベルの高い職場、低い職場の話にも繋がっていて、レベルの高い職場ほど実力には運が絡むことを知っています。そのために人あたりが良く心地よい職場環境に繋がっています。
ここまでを一行でまとめると
運は実力のうち、これ本当です。
ということです。
さてもこんな日記をつけるようになったせいか、最近はいろんな言葉についてぼんやり考えることが増えました。
交通事故に気をつけたいですね。
それでは
補足
実力を最も簡単なイメージ通りに使えることがあります。それは集団の場合です。
おそらく序盤に大阪桐蔭高校の実力勝ちと表現したことを消化不良のままここまで読んだ方もいらっしゃると思います。
集団は高い実力者が多く集まると高い実力を持ち、低ければ低いのが然りとなります。
個人の資質、つまり運によるところも含め全ての要素を兼ね備えるかどうかで論じることはありません。持っている人を集めるだけだからです。
もし金足農が勝ってたらどうなるのって?そりゃあ運も実力のうちってことでしょう!