【雑記】労働、したくないもの
意識のかけ所
"意識高い系"というジャンルに属する迷惑な人のテンプレートが表現されて数年ほど経ちました。まあ、有り体に言えば迷惑な人なので大人しくしていればこれに類されることはありません。しかし、私には危惧があります。それは自分が意識高い系なのではないかというものです。
私はたまにこの日記を読み返すことがあります。日記の役割上、それは当たり前の事なのですが頻繁にこう思うことがあります。
うわ…何こいつ意識高っ…。と
まあ実はとても容易にこれは否定されます。というのも私、就業態度が悪いです。じゃあこの日記に書いている貴方が理解していることはなんなの?という話になるのですが、言い訳をするとこれらは表現の方で努力している時に考えていることなのです。
以前私は「体現こそ理解であり、言葉を知っているだけでは無価値だ。」と主張しました。(以下記事、町工場のくだり)
https://idep0n.hatenablog.com/entry/2018/05/01/072651
正直に言うと「他者が観測している世界に存在する私」は「不真面目な労働者」を体現しています。それというのも内容に興味が持てないために、改善のために何か考えることや現状の問題を把握することを怠っているのが原因です。ルーティンの業務が来たら時間が流れてラッキーくらい考えてしまっていて、非常によくない状態といえましょう。
私がこの記事を書いて自分自身確認したいことはとても単純です。言行不一致の現状を自分がどう思うか?という問いとその答えです。
そして、その答えはさらに簡単でした。
「僕は労働に真剣なんじゃない、人生に真剣なんだ。」
知らないうち、興味のない労働に真剣になってしまっている人が多い昨今です。言い訳くさい答えですが労働とそれに向き合う自分のこと少し時間をとって考えてみるのも間違いじゃないのではないかなと思います。
それでは