厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

車が好きな人

導入

突然ですが皆さんは車が好きですか?

私はそうでもないです。

 

昨今、こういった車に興味のない若者というのは珍しくありません。ここで敢えて言い方を変えるなら「車は走ればいい、服は着れればいいという無頓着な思考体系に属している。」と表せましょう。これはつまりこの世界にある割と大きな考え方の偏りに属しているだけであり、言うほど特別な事じゃないですよ、ということです。

 

さて、主題はそんな所にありませんので、ささっと話を変えていきます。

 

やりがいのある仕事

唐突に車が好きか聞かせて頂きましたが、本人がそうではなくてもクラスに一人くらいは車が好きな人がいたと思います。

私の中学時代には自転車に乗りながらフルスロットルのエンジン音をアフレコする人が居ましたし、高校時代には土地柄かホンダの車が好きな下校中にチャリのタイヤを温めるといって蛇行してからスタートする変わり者が居たものです。

 

その後彼等は工業高校や工学部に進んで、少なくとも一人は車の仕事に打ち込んでいると聞いています。それはおそらく漫然と青春を過ごし安定した暮らしのためだけに自我を切り売りする生活の何倍も有意義な人生と言えましょう。

興味、やりがいを感じて取り組む仕事には意義が生まれるのです。

 

ただ、全ての人がそうあるとは当然限りません。冒頭で私は「車走ればよいという思考体系に属している」と言いましたが、こういった思考体系にはサイズがあります。その大小こそ計りかねますが、要するに私以外にもたくさん車に興味のない人がいるわけです。

当然それらが車に関する仕事に就いたとて有意義な人生になる訳ではありません。これはとても明解な話でしょう。

 

しかし、複雑と表現しても誤りになるのですがこの話には人生の本質的な問題、すなわち高度な問題が含まれていると私は考えています。それは、車に興味のない人が何に興味があるのか?という問いかけによって浮き彫りになるものです。詳しい話は次にしていきます。

 

車が好きだとラッキー?

※ここからは車が好きな方にとって失礼な話題になります。ご了承ください。

 

先程の段落を一部まとめると車が好きな人は工業高校や工学部に通い、その後車に関する仕事をしているということになります。そしてこれを意義のあること(≒幸福)としました。

 

正直に言うと、私はそうだと思っています。

※念を押しておきたいのですが、車も新しいデザインを作る、乗る、整備するなどあるから一概に幸せじゃないよという意見はあるかとも思っています。しかし、今回は都合それを無視します。

 

例えば、休みの日でも車を弄りながら仕事の工夫を考えたり、或いはそこまで行かなくとも欲しい車を見に行くことで仕事のモチベーションを高めたりなど、傍目の意見で悪いですが公私を上手く織り交ぜて働きができると思うのです。

 

再三になりますが車が好きで、車に噛んだ仕事へ就く。するとワークライフバランスのよい生活が実現できるのです。

そして、こういった車が好きだから車関係の仕事に就く人の話は珍しいものではありません。それどころか割とある話です。それだけが全てなら本当に簡単な話でした。

 

 

では、歌が好きだから専業歌手になる人はどうでしょう?芝居が好きだから俳優になる人は?

 

何故かこれらはとても珍しいです。需給の理屈で言えば残念ながら当然ではあります。しかし、突き詰めていくと「好きになるものが時代の需要に合わないと、しんどい思いをして生きる可能性が上がる。」ように思えるのです。

 

凄くないですか?何かを好きになるという人の自由意志が本質的に豊かな人生の実現可能性に影響を与えているのです。

 

とりわけ厄介で重大な言葉は自由意志、「自由」という言葉です。本来、何にも縛られないはずの考え方が何故か生き易い、生き難いを左右しています。なんと悲しく残念なことでしょうか。

結局のところ、人間は社会的動物なのです。アリやハチが持つような社会的役割を持っているがため、誰も彼もが好きなことを(あるいはそれに関わる)一日八時間以上してお金を貰う自由を持ちえません。悲しいことです。

 

いつの時代も宿命的に役者や歌手、プロスポーツ選手等を志す人の内、容姿や体格、家庭の経済的理由といった選択できない要素によりそれを叶えられなかったり、端に追いやられ、望んでいない形でそこにいる人が生まれています。

それでは嫌だと、生き易く生きるために、生まれ持った宿命の夢を見ないようにすることもあるでしょう。

 

だから車が好きだとラッキーなのです。時代は「車に関わる仕事をする人」を求めてるのだから。彼らは宿命的に望んだ先に望まれ生きているのです。

 

偏見ばかりで怒りを買ったかもしれませんが、自由と思える夢が生活によって制約を受けていることに今更気づいた私としては、これが衝撃でした。

 

終わりに

車が好きな方、特に車が好きでそれに関わる仕事をしながらも、やりがいがとうとう感じられなくなるほどの圧政を受けている方には本当に申し訳ありません。

 

何せ人が人を幸せだろうと決めつけることはできませんから、ある意味ではなかったことにして欲しい話でもあります。

 

ただ伝わって欲しいと思うのは、子供の頃に自由な心で決めることが、人生の満足を得られる可能性に影響するということ。

 

あるいは天啓によって、人が幸せになれるかどうかは決まっているのかもしれませんね。

 

それでは!