厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

【日々の徒然】美容院、楽しくね?

1/22のできごと

毎月一度、美容院で髪の毛を切る。社会人になってからの新習慣の一つだ。

 

本来キラキラであるはずの大学時代、その身に刻まれた宿業の罪を贖う為に、仄暗い闇の部屋でインターネッツに明け暮れたリアル「打ち込んだものはキーボード、成果はひとつもないです」人間こと私が、まさかこの様な習慣を持ち、楽しいと宣うようになるとは微塵も予想できないことだった。

 

だが、これは事実である。

 

確かに以前までは美容院に良い印象は無かった。

 

特に自分のことを非コミュの考えていた頃は、美容師といえば陽キャ代表だった。更に高校時代に遡ると、美容師志望者は専門学校に行く気マンマンでイキリ散らかして勉強を邪魔する輩だったので印象は最悪、美容院も髪を切りに仕方なく行く所だった。バカの巣窟というイメージさえあった。

 

しかし、なんの目的も持たず大学へ進学したどころか大学院を修了して、やりがいを微塵も感じない職場に給料だけで手懐けられている自分のくだらなさ、否、その前にそもそも学問への関心が低いことにすら気づかず院進するという事の方がどれ程愚かであっただろうか。

 

彼等は誰かの(私は不勉強であるため)勉強の邪魔をした罪こそ、どう贖うのか、いつその時が来るのかは知らないが、少なくとも志を立ててやりがいのある仕事に就いたのだ。なんと偉大なことだろう。そう思うようになったのだ。

 

まあこれは、楽しいとはまた別の話。次は私が見出した美容院の面白さを説明したい。

 

美容院で私が最も「これはいいな」と思うところは、美容師と自分の関係性だ。無論、客とサービス者と言ったところになるのだが、それがいい。その絶妙に近くない距離感は寧ろ最も良い会話を生み出すのに一助していると思う。

(いつの間にか会話することが前提になっていて申し訳ないが、美容院の楽しさは「会話する」ことによって見出されたものです。)

 

私が思うに美容師さんとの会話には「やりがい」がある。その原因こそ「絶妙な距離感」だ。

あまりに仲の良い友人だと、どうしてもある意味で話すことはなくなっていくし、不躾なことも言ってしまう。逆に仲良くないと、…それはそもそもそれほど話したくないはずだろう。

接客業として考えても、カフェのウェイターと長話をするのは気が引けるし、折角相談した占い師相手に無駄な雑談ということも考えづらい。しかし、美容師さんというのはお客相手にカットという工数の多い仕事をする上に会話が仕事の中心ではないため、必然的に自然な会話が必要になってくる。これは美容師と客に設けられたベストな距離感の鍵だろう。

 

そのことを知ってか知らずか、基本的に彼等はトークの話題をいくつも持っている。

だから関心事を仕掛けたら仕掛けた話題を必ず膨らませて返してくるのだが、私はそれが楽しいと思うのだ。

慣れてくると相手のフリもわかるようになってくる。今月はお正月の過ごし方が議題になった。

なので、お正月に集まる親戚周りから話を始め、結婚を諭す親族の話へ移し、生き方は人それぞれから、甥や姪には投資しちゃうかもみたいな話題で盛り上がった。

話題自体はありきたりなものだが、やはり話していると、聞くにも話すにも順序をわかっているな、考慮に入れているなというのが伝わってくる。こちらがふっかけた時は整然としたトークネタを話し、こちらが相槌を打ち続けても適度なところで話題を返してくるのだ。それだけの間があると、自分のターンも何を話そうかある程度定まっているわけで、さあこれでまた盛り上がるだろうと投げると、お客だからと受けてくれる。

これが私の感じている「やりがい」の原因だろう。

 

知れた仲というのは、つい距離感を測り兼ねた会話やテンポの悪い会話を生み出してしまう。いや、主に私が話しすぎたりしてしまうのだが、相手も慣れてしまい(いや、慣れる人しか友達として残らない)、ダラダラとした会話をしてしまうのものなのだ。

 

確かにそれもいい。しかし、たまには会話をラリーだと思って楽しむのもまた面白いだろう。私がそんな会話をしに行く場所、それが美容院なのである。

 

皆さんも、偶に髪を切る時は美容師さんと当たり障りのない、実のない話で盛り上がってみてはどうだろうか?

 

 

それでは