~選択~振る舞いを選び取る
私が会社に行くと、先輩社員が度々「世の中金よ」と愚痴るのを耳にする。時に私へとそう言うこともある。
長い付き合いの人なれば、もう分かっていることだろうが、私の持つ思想に基づいて会話を続ける場合は、一先ずこれに否定の言葉を入れなければならないだろう。私はそう言う哲学的立場にあるのだ。
しかし、実際に私が言うのは「そうですね。」だ。それも寄り添うような口調を使うだろう。何故ならば、私の自由は「お金を中心とした思考」にこそ支配されないが、「タイムリーな役割」には存外従順だからである。
常に自らの思想に基づいて語る強さを確固たる信念と言えば聞こえはいいものだが、相手が多数派に思えることがらに無理に持論を押し通そうとするのは、融通の効かない愚かな行為とも言える。無駄な諍いは起こすべきではない、これは自明なことだろう。
生きるにおいて思いの外大事なのは「弱さ」すなわちイメージとしては悪いものも使いこなすことだ。ただこれは目的を持っていないと意味が無い。弱くなるべき時、主張しない瞬間は適切に選ばなければならないのだ。
その見極めポイントを明らかにしてくれるものこそが「タイムリーな役割」だ。これはそれほど難しい話ではない。
唯一難しいのは頑固さを解くことで、その後はその場にあるものから考えた無駄な争いを避ける選択をすればいいだけの事だ。(ただ合理ほど頑固さを助長するものはなく。その理屈自体が人それぞれであることは、把握することは容易でも体得し難く。そのために頑固さを解くことは非常に難しい。)
まあ、結局それを活用して本音を隠しているので、ただの嘘つきでもあるのだが、調和を保つために必要な嘘だけをつくのは人生巧者のようで悪くない。(いつも本音で話せる世界だとよいのだが。)
私たちには言いたいことを時と場所を選んで言って、それなりに社会をなんとかする必要がある。そう、社会を適切に処理して人生を真剣に取り組むそれが重要なことだ。
というわけで二月も頑張っていきたいと思う。
人生を。仕事はどうでもいいです。
では。