厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

性格のいいブスか性格の悪い美人か

はじめに

古来より人間界には「究極の選択」というものがあります。マイケル・サンデル氏の「正義の話」にあるようなものです。「正義の話」における究極の選択は、正義という形而上の存在を考えるのに適当で、そこには有意義な議論が生じます。

 

しかし今、正義の話に熱を入れるべきではありません。私が書きたいことではありませんから。兎角、私が言いたいのは、二項以上の対立関係は、その質はどうあれ議論を生んできたということです。

 

こうして二つの正義がぶつかる時、人類は個体別に何が正しいのか?を考え、基本的には論戦を交わします。しかし、悲しいかな結論がつきそうもない議題の時は、武による勝者を正しいとして歴史をつくりあげてきたことも事実です。無論、反対意見もあると思いますが、強く多数であり他を圧倒する「力」によって時代のリーダーが定まってきたのは本当のことです。

 

時に論戦の質もピンからキリで、より多くの人類が幸福になるために取るべき主義からきのこたけのこ戦争まで、ものによっては「不毛」と呼べる戦いもこの世には存在します。

 

そして、その殆どで提案されているのは、たかが二択問題なのです。たった二つから一つを選ぶだけの話。されど私達はそれに、究極は、未来による生か死かの問いかけに日々答え続けています。

 

というわけで、今日の表題、壮大なテーマを語るような切り口から肩透かし待ったないチープさですが、今回はこれに応えようと思います。

生きてる証です。

さて、この手の二項対立に正答はないのが基本ですが、一体どうなるのでしょうね。

 

結論はいつもブス

スピード解決。その一言に尽きます。

 

というのも私の考えでは「性格のいいブスと性格の悪い美人」の二択には答えがあるからです。

 

勿論、答えは「性格のいいブス」です。論理的思考の果てに「不動の価値」を精査すれば、これは揺るぎなく正答となります。

否、私は頭が悪いので論理的思考力が低いのですが、この点に関してはネットに転がっている話をまず読んで頂きたい。検索ワードは「お金持ちと結婚」「短期保有」「長期保有」で十分だと思うので是非ともお願いします。

 

さて、もし読んでいても、或いはいなくても察するかと思いますが、「とっても頭のいい稼ぎがある人」は美しさで人を選ばないという話で、やはり、揺るぎなく、「性格のいいブス」を選ぶことが正しいわけです。

 

…それほど力を入れて説いていませんが、お分かりいただけましたね?

 

念の為に一押しすると、パートナーとして

性格のいいブス>性格の悪い美人は正である

ということです。

 

じゃあお前はブスと付き合うの?

答えは「難しい」です。

 

読者は上記の問いに「性格のいいブス」が正解と答えているではないか、と思ったことでしょう。

確かに、本来であれば即答で「正解」を選ぶのが正しいです。

また、私の持論なのですが「性格が治る」という事はないとも思っていて、それは美しさを与えるよりも難しいと考えているので、尚更正解を選ぶべきなのです。

 

しかしながら、実際レベルに話を落とし込むと答えは難しいに尽きます。

何故ならばこの問い、重大な欠陥があるのです。

 

それは、何かしらの会合で目の前に美人とブスが並んだ時、どれほどブスの性格が良かろうと、それを判断できないことを考慮していないことです。つまりこの問い、重大なプロセスを無視しているといえます。

 

だから、実際レベルでは難しいのです。残念ながら男というのは、美人とブスが並んでいたら美人と話そうとします。どんな性格の人でも会合では良い顔をするものですから尚更です。

 

当たり前の話ですが「興味を持つかどうか」は、ほとんど何も無いところから少しだけ伝わってくる要素によって決められてしまいます。

 

つまり、論理的には長期保有の価値がある「性格の良いブス」の存在を理解している男性であっても「性格の良いブス」と結びつくことは難しいのです。

 

(失敬な小言:更に難しくなる話として、「性格の良いブス」は発生確率が低いと予想されます。私の経験上、「性格」を形成する大切な時期に、容姿など、自分が決められないことで理不尽を感じることは、必ず悪影響を及ぼします。何かのせいにする癖がついてしまうのです。)

 

私の望みとして

最後に「結局顔か」という結論では寂しいのと、念を押しておきたいことと私の望みを足して三で割った話をします。

 

まず、念を押しておきたいことは「人間顔じゃない」ということです。これはお金持ち(資本主義社会において、結果を残している頭の良い人)がパートナーを選ぶ理屈によって裏づけられています。

 

また、賢い人は短期において顔の良いパートナーを選ぶと幸福度が増す事を否定しないことで、顔は良い方がより良いことも間違いないとフォローしており、その上で目の前が幸せになる選択を一生の幸せとすぐ結びつけるのはバカだということが分かりました。

 

私はこれを「聡明」の本質だと思っています。

何故ならば、この判断をマズローの欲求五段階説における低いレベルの欲求が一瞬満たされることよりも高度の欲求が満たされることに目を向けていると拡大解釈できるからです。

 

そして、何より重要なのは性格を良くしようと妥協なき研鑽を積むことです。

 

私も時に、これでいいだろうと口にすることがあります。しかし、あくまで自分の中で出来ることはやり尽くしたつもりでいます。つまり、自分のかけた力には妥協していないつもりなのです。

 

そして、結果が出せない時、今、自分は弱いですね?…弱いんです。

 

ただ、世界にはそこを認めて始まる話が多くあります。そして、強い奴がいる。彼らには強きに至る研鑽があるのです。否、あると思わねばなりません。(昨今のニュースは弱者の共感を得ようとそれらを無視し欠点を報じることが多いとかんじてます。これは甘やかしです。)

 

そもそも、そうして自分の性格を良くしておかなければ、奇跡のようなチャンスが来た時、それを逃してしまいますよね?

 

つまり、強者のパートナー選択理論が正である時、性格を良いと思われやすい状態にしておくべきなのです。

 

成果になるかどうかは兎も角、良い状態で準備しておくことは、何もパートナー、ひいては恋愛程度に留まりません。よって一般的に妥協なく取り組んでおくことを、私はドゥザベスト理論と呼んで頭の引き出しに入れています。

 

終わり!

少々、話がとっちらかったように思いますが、今回はこんな感じです。

 

個人的には短絡的と言うのが好きではないので今回の話を書きました。

迫る幸せに一歩引いて、その後のことを考えるのは全てに通ずる賢さ、強さだと私は思います。

 

そんな感じですね。