厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

引きこもりにも適性があると気づいた

はじめに

今、世の中は未曾有の事態となっている。故に、生きた証を残したいと思うのは然りと言えよう。

 

一応私はまだアラサーなので、その騒動によるリスクは少ない方ではあるが、社会全体を考えた時、最早侮った様な発言をすべき事態ではない。

 

当然、不要不急の外出は控えるべきであるが、ここにきて気づいたことがある。

 

それが表題、引きこもりにも適性があるということである。

 

消費型と創造型

長くなりがちなので結論は先に書くようにした。今回の結論、ずばり最も引きこもり適性が高い人は、創造型の人間なのだ。

 

人間の遊び、ストレス解消法には二つある。そして、それは消費と創造のそれぞれ二つの方向性を含んでいるのだ。これについては、わかり易く二人の人間を使って説明しよう。

 

休みの日になった時、レジャーに出かける人はとても多い、好きなアーティストのライブを見に行く人も居れば、家の中で映画を観たり、本を読んだり、ゲームに没頭する人もいることだろう。これらの人は皆消費型で後半はインドア派に思えるため引きこもり適性が高く思えるが、実際のところ引きこもりきるには難しいだろう。

 

何故そうなるかと言うと、消費型の趣味というのは、究極的には何もやらなくて良いからだ。そして唯一、買う必要があるので外に出る必要がある。だから引きこもりきれないのだ。

 

否、インドア派の方であれば電子化が進んでいるので家から出なくても良いが、それでも少し期間が伸びるだけだと私は思う。そもそも本を何冊も読むだとか映画を何本も続けて見るという行為は疲れるものだ。それは媒体にある情報から刺激を受けるからに他ならず。それを処理するのに僅かばかりストレスを感じるからである。そうするとまた別の気分転換が必要になるが、消費型である事にこだわると、ここで詰む。

 

すなわち、消費型の人間でありつづける以上、自粛生活をつらいと感じざるを得ないのだ。

そして、そうなると自粛生活に耐性のある創造型について興味が湧いてくることだろう。

創造型の良さについては、見出しを改めた方が良いほどあるので一旦ここでこの項は閉じることとする。まとめると、消費するだけの人間生活を送っている人は引きこもり適性が低いということである。

(それについて善し悪しはない。)

 

創造型になる大チャンス到来

自粛生活、配られた労働に耐え、休日をリフレッシュという名目で消費するだけに費やした人にとっては、リフレッシュの道が絶たれて大変かと思う。およそ、その二つをして忙しいと成っていた生活に気付かされ、忙しいことが幸せだったと思っているかもしれない。

 

これだけはハッキリと言ってしまうが、それは違う。私が思うに忙しい以上の不幸はない、なぜなら「考える」時間を失うからだ。多少の忙しさで脳を埋め、生活が安定すれば…という考え方を持ちそれを実行することは愚かである事限りない。

逆を言えば今、まさに考える時間である。そして何をすべきか、それが「創造」だと私は思うのだ。「創造」にはメリットが沢山あるし、お金もかからない、何より家から出なくて良い。唯一の欠点は時間が必要なことだけである。

消費型の娯楽ができない今、間違いなく「創造」に手を出すべき時ではなかろうか?

 

皆がこのチャンスを逃さないため、これより「創造」の利点を列挙していこうと思う。

 

創造のメリット:お金が貯まる

創造するための道具には、お金をかけたほうがいい。残念ながらそれは事実だ。ペンタブ、DAWソフト、筆や画材、教本、人によって色んな表現がありそれに使う道具がある。もし貴方が独身で社会人ならば、道具はプロが使うものと同じにした方がいい。道具を言い訳にしない方が良いからだ。

 

それでも創造をするとお金が貯まる。何故か、道具を使いこなす様になるまで、使い込んでる間、追加でお金を使わないからだ。

 

手を出してみたらわかると思うが、創造に最も必要なのは「時間」であり「金」ではない。だから、お金が貯まるのだ。

創造のメリット:できるが増える

消費型の趣味、例えば読書が好きだとして、貴方は物語が書けるだろうか?書けるならば、否、書こうと思うならば、その読書はとても良い趣味だ。

 

無論、本を読んで想像を膨らまし、物語を堪能することは悪い趣味ではない。しかしながら、それだけでは勿体ないのだ。消費型の楽しみ方を強く非難するつもりは無いが、創造に辿り着かなければ、「読書をして何もしなかった。」と言えてしまうのである。

 

しかしながら、創造に辿り着けば話は変わる。貴方は物語を紡げる人となり、貴方の人生には遺せる物が増えるのである。

創造のメリット:当たるかもしれない

何もしないと、何もしなかった明日が来る。何かしても、大して変わらない事がほとんどで、ずっと娯楽漬けにできたはずの時間は、創造の苦しみをもって損失となる事もあろう。

 

だが、創造は成果物を残す。長い間残り続ける。もしかしたら、直後はなんともなくても、いつの日か多くの目に触れるかもしれない。このインターネット時代は特にそうで、何かを恥じることなく表現した結果、大きく躍進した人も少なくはない。

 

本当に何もしないと、ただただ何も起きない。だが、何かすると何も起きないとは言い難い。0と限りなく0に近いは本質的に全く別なのだ。短絡的に楽しいを集めるだけの0人間を創造により卒業すべきではなかろうか。

創造のメリット:考える時間が増える

日々仕事をしていると、口の中に突っ込まれた仕事を噛んで飲み込む程度は考えるので、人は自分が考えて生きているのだと勘違いをする。いつの間にか誰かの人生を応援して、誰かに決められた嗜好品でストレスを抑え込み、よく分からないリールの回転に汗と涙をかけて稼いだ金を持ってかれることさえ疑問に思わなくなる。いつしか後進を同じような人生に巻き込み。肩を組むことで全て忘れるのだが、肩も組めないこのご時世、考えてない事を思い出したのではなかろうか?

 

そのストレスや後悔に向き合えず。真面目ぶって仕事したいだなんて嘘を吐かないで、創造の喜びを知るべき時、それが今だ。絵や音楽が難しければ文章で良いので、是非とも時間をかけ、ゆっくりと自分について考え文章をまとめてみてほしい。

創造のメリット:家から出ない!

このご時世において、最高。この点に関してはそれだけである。

 

終わりに

いかがだっただろうか?長々書き連ねたが、要するに「創造」は最高という事である。確かに時間がかかり、質によってはリターンが少ないのも事実だが、創造のリターンはなにも現世にいる自分だけに留まらない。

イタズラに消費し続けた人に比べ、自分の人生というものに対する主張が強くなるのだ。一言で言うと人生が深くなるのである。

 

だから、今すぐ「創造」始めよう。無論、これから先も消費はするだろうが、この先の消費は全て「創造」の肥やし、「人生の深み」を育むための物になる、そのための時間を時世が支えているのだから。

 

(いや、もう自粛終わりそうだけどね)

 

それでは。