厨二病日記

取り敢えず患った不治の病が厨二病でよかった Twitterは @Pott0N_mush

34歳が近づいてくる

はじめに

のそのそと人生を歩いていたら、いつの間にか歳をとっていた。34歳までもう少し時間はあるが、そんなに遠い未来でもなくなった。

 

もう少しだけ、34歳がどういう意味のある年齢かは勿体ぶって、先に後悔の話をしよう。

 

その人生に成功経験はあるか

私の人生に足りていないと思うもの、それは成功経験に違いない。

 

ほとんどの人が得る最初の成功経験と言えば高校受験のように思える。そこで私は第一志望の公立校に落ち私立へ行った。当時は何も感じていなかった。何も努力していなかったからだ。大学も行けそうなところへ行っただけだ。合格は喜びというより安堵。学部が関する学問についても大して興味がなかった。

もう少し遡ると、私は書道を習っていて課題を同級生に褒めて貰ったことがあった。けれども、賞は他の人がとった。足も生まれつきレベルでは速い方で若干のプライドを持っていたが、結局鍛える事もなく、なんの成果にも繋がらなかった。私の小さい頃というのは、なんとも不努力であった。

 

無論、完璧を望みすぎても良くない事はもう充分承知しているし、寧ろそれが出来ていなければ、余りに不完全で死んでしまいかねない人生送っている。クヨクヨしてたらやってられない状況には、とっくになってしまっている。こうして生きている事自体、理解の証明と言えよう。

 

それに人生は長い、これから少しでもやりたい事に手を出しながら、何かを生み出してはインターネットの片隅に置きながら、生きれば良い。

 

今はそう思っている。

 

34歳って?

34歳とは、享年の事だ。

 

そしてそれは、人が生まれ、志を持って生きれば、夢を叶え、幸せな家庭を育む事のできる。年月とも言える。

34歳とは、アナウンサーの小林麻央さんが亡くなった歳のことだ。

 

別段ファンだったという訳ではなかったが、その死は結構衝撃的だった。それというのも当時、私は先述の事実に気づき、一念発起して全力で夢を追いかけていた頃だったからだ。

真剣に生きて初めて理解できる事は大変多く、特に夢を追いかけている身にとって、自己実現できるかどうか、その凄さ、偉大さは大きく見えていた。

 

小林麻央さんは、当然関わりのない私にはあずかり知らぬ苦労こそあったであろうが、当時より自己実現を成し遂げ成功しているように映っていた。これも私の悪い所ではあるが、人生をレースに例えると何周もずっと先を走る。或いは走る事を許されている。立派でかつ幸運な人だった。

そう、幸運な人だった。

 

結果、と表現するのは不謹慎に思う人もいるかもしれないが、女子アナウンサーになるという狭き門を見事にくぐり抜け、見事に自己実現をし、幸せな家庭を築いている様に見えていた人は、34歳という若さで亡くなってしまった。

その事実は、まだ頑張ってもない、否、これから頑張ろうとしていた当時20代後半も後半の自分からしたら物凄い衝撃だった。

当人が病床に伏してからも発信を続けた事、その影響力を見た事も自分の考え方をより確りと見直そうというきっかけになった。

 

小林麻央さんが生きた時間は、現代日本の平均から見て、とても短かったと思う。しかしながら、その生き方が沢山の人に影響を与えた事は間違いなく。今自分はその人の享年に近づいている。

 

自分は今幸せだろうか?そも、何を目標に生きた?達成出来なかった事はどう補う?幸福観自体を見直さないと不幸になるかもしれないぞ?次は何に挑む?

 

一息ついて、一生が34歳迄という観点で考えてみる。

 

だからといって不要に人生を急く必要など無いのだろうけれども、それに興じるというのも贅沢な時間の使い方かもしれない。

 

思うこと、一つ

(更新を随分していなかったことは棚に上げつつ。)

そして私は今、ブログを書いている。

それは考えを見直したからであるかもしれない。

 

その訃報を受け、色々と思いをめぐらせた結果、他人に影響を与えられれば優れていると言うのは浅いかもしれないが、まだ若い事もあり、生きて、誰かに伝わるものを残したいとより強く思うようになった。

 

昔の人は、それこそこういったことをまとめる暇もなかったり、或いは書にしても紙が破れたり燃えたりして、今にまで残らずに消えてしまったかもしれなくて、そういう命も沢山あるはずだ。

インターネットも人が滅びればではあるが、インターネットタトゥーという言葉の裏を返せば、随分と残るはず。

 

だから少しくらい、発信者を気取って文章を書いてもいいだろう。折角、生きているのだから。

 

多分。